日本の大学に留学経験のあるアフリカ系フランス人の若い女性は、日本の教育の現場に「素直に生徒が議論できない」空気を感じたという。
パリ大学で日本語を学んだ彼女は、日本語でのコミュニケーションにほとんど問題がない。留学中にある高校3年生を対象に、「自分の国の話」をすることになった。
彼女は、「自分の国」フランスを語る前に、まず自分は何者かということを、「フランス人」なのに白人ではなく、宗教も一般的なフランス人と違うイスラム教信者である自分について話し始めた。
両親の国がフランスの植民地であったことや、その国の人々が奴隷としてアメリカ大陸に連れて行かれたことは、その導入部分で欠かせない歴史的事実である。
植民地政策と奴隷制度について話始めたところで、担当教員は「この話は控えてください」と彼女に言ったので、話は中断せざるを得なかった。
その教員の発言は、彼女を驚かせると共に、自分の心を傷つけたと彼女は振り返える。
彼女の疑問は、「高校3年生」の生徒達に、どうして植民地政策や奴隷制度の話をすることができないかということだった。
彼女がフランスという国を語る時、現在のフランスの一つの姿として、自らを指し示し伝えられることは、アフリカなどからの移民が国民の一部を形成しているという事実だ。
良いとか悪いとかということでなく、そういう事実を日本の若者に伝えることが、なぜ日本の教育現場では憚れるのか。
彼女の話を一緒に聞いていた日本人小学校教諭の意見は、彼女だけでなく私をも少し憂鬱にさせるものだった。その教員のとった態度は、仕方がないというものだったからだ。
彼女の話を中断させたことは、日本の教員にとっては一般的であるという理由とは、まず彼女の話す内容、植民地の歴史や奴隷制に関する生徒からの質問に対して、彼女が「思想的に偏った」意見を述べる可能性があったこと。
もしくは教員に意見を求められたとき、教員が「自分の考え」を述べなければいけないことを恐れたかもしれない、ということだった。
教員が「自分の考え」を述べることは、今の学校では極力避けることが常識、と彼は言う。
教員が「自分の考え」を言えないために、歴史的事実が伝えられないということが事実なら、本当に危惧すべき状況だと私は思う。
と同時に、もし「自分の考え」を言わない教員と対話をしなければいけない生徒達も気の毒だなあと感じた。
もしかすると今の日本の若者達は、私の子供達も含めて、こういう歴史的事実について一つ一つ議論をすることが無い状況にあるのだろうか。
まさか、と思いたい。
これはごくごく偏った人たちの、偏った情報に形作られた日本の教育現場の話だと信じたい。
- http://nodava2004.blog15.fc2.com/tb.php/73-f6295de3
0件のトラックバック
「アラバマ物語」はいい映画でした。 原作も読みました。 「カポーティー」を観るのが楽しみになりました。
そうそう、お話したかどうかわかりませんが、高校時代はシモーヌ・ヴェイユに「憧れて」いました。 そうでなければ、当時カトリックに近づくこともなかったでしょう…。